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明日は東京、そして私は不機嫌になる

明日が最終の編集会議・・・ここ一年以上を精力的に費やした友の「遺稿追憶集」は、ようやくと世間にリリースされることとなるだろう。このブログを読み返したら小池真理子に対する私のコメントの中で、何となく高野悦子さんに触れていた。やはり何と言っても彼女が書き残した『二十歳の原点』という偶然にも日の目を見た書物は鮮烈だった。

悦子さんは、本当に小さな小さな150センチ足らずの女の人で、当時の河原町にあった立命館の存心館前での日だまりの中で行われた反民青全京都集会で、同じように集会に参加していたので、初めてお見かけしたものだった。
あれは、1970年の、まだ春が夏に移行する前の短いワン・ショットであった。
後に、私もJAZZが好きで通い詰めていた荒神口の「しあんくれーる」=「思案に暮れる」というジャズ喫茶に彼女も通っていたという事実を知って、驚いてしまったことを思い出す。

私には、彼女が全共闘に結集して民青や大学当局と闘うには、余りにも「小さく幼い」という印象しか持てなかった・・・当時の文学部の女性で全共闘系の運動に参加していた人達は、私達法学部に在籍していた若者と違い、自らを抉る根源的な立脚点について思い悩んでいたようで、「権力奪取」や「革命・蜂起」という路線には耳を貸さなかったようだけれども、なべてエモーショナルな面で私達を凌駕していたような気がしている。

彼女が下宿していた嵯峨野の下宿近くで自らの命を絶つ直前に書かれた<詩>の一片は、今でも私は諳んじていて、私の書斎の壁には、彼女の写真と詩の一片が、コルクボードにピッタリと貼り付けてあるままだ。
死を予感して彼女が書いただろう詩編のひとつが、今も私の行動と思想を規定しているような気がする。
悦子さんは本当に死ななければいけなかったのだろうか?

>旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨がよい

霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出た若芽がしっとりとぬれながら

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく

大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう

近代社会の臭いのする その煙を
古木よ、おまえは何と感じるか
原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本のたばこを喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう

原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小舟をうかべよう

衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗闇の中に漂いながら
笛をふこう

小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう

そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう
                   (高野悦子)

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Comments

高野悦子が残した日記『「二十歳の原点』『原点序章』『原点ノート』について、ブログを書いている者です。まだ大学の1年の夏休み前ですが、一度読んで下さい。反民青、全共闘運動に参加していた悦子さんの面影を感じました。1996年1月~6月立命で何があったかを知りたいのです。悦子さんの日記を埋める事実を知りたいのです。そして何が悦子さんの死の原因なのかを知りたいのです。宜しければコメントを残してくれませんか。
ただ、上記内容には間違いがあります。まず悦子さんが亡くなったのは、1969年6月24日であり、場所も嵯峨野ではありません。西大路と山陰線が交わる付近の西ノ京平町です。
時間がありましたら、コメントお願い致します。

Posted by: etsuko4912 | April 30, 2005 at 10:44 PM

etsuko4912様

知らないひとからのコメントは、予期しているようでしていなかったので、リプライが遅くなってしまいました。
新著の締め切りに追われていた中での記述であったが為に、何故か、高野さんが亡くなった年が70年になっていたり、山陰線の場所が円町近くではなく嵯峨野付近になっていたのは、ある種の思い込みというものです。それというのも、彼女は大学から随分遠いなぁという嵯峨野近辺に下宿していたらしいという思い出から何となく、「ああ、この辺りなのか」と嵯峨野で感傷的に冷たい鉄路を眺めたことがあったからです。以上二点は訂正させてもらいます。

ただ、せっかくのご指摘ですが、貴方も「1996年1月〜6月」と誤記されているので、まあこれはこれで「おあいこ」ということでいかがでしょう。

実は、高野さんに限らずというか、若い頃に学生運動をしていて、自死された(私達は敢えて、『自殺』とは言わない・・・)人達について、あれこれ文献やネットの中で追体験されようとするひとが多いのは承知しているのですが、私自身どうやってコメントしたらいいのかを考えると、素直に触れ合う気にならないのです。貴方が高野さんや私の若い頃のように、火の出るような自己犠牲のもとに「運動」されているのなら、私は無条件に同化できるかもしれませんが・・・

高野さんは、あのとき私達と同じ隊列に居た・・・
当該の亡き友も、私達と同じ隊列に居た。その他のひとも。

私達の『関係性』は、それ以上でもそれ以下でもなく、死者と生者を分かつ原因は、ホンの偶然でしかないということを改めて『水平線の向こうに』にも書き留めています。

ひとが、「何故自分で死ぬのか?」については、実のところ「文章」になど収まるようなものではないことを、今日のところは書いておく他がない・・・

Posted by: kidman(管理人) | May 06, 2005 at 07:44 PM

先日は唐突な記述へのご返信ありがとうございました。全共闘関係のブログの記述を興味深く読ませて頂きました。まだ各個人の全共闘運動は終わっていないんだと感じました。最後に私が記述しているブログに下記のような記述をしたく、ご了解をいただければと思いましてご連絡しました。お手数ですがコメントをお願い致します。
記述内容:「最後に時間の二面性について書かせてもらいます。時間はその経過とともに、事実を風化させます。このブログを始めた理由のひとつは、その風化を止めることです。悦子さんが残したものを風化させず残したい、また知らない人に伝えたいということです。また時間は科学技術の発展をもたらし、過去では知り合うことが出来なかった人に逢わせてくれました。それは悦子さんとともに活動した活動家、日本史学科の同級生、またホテルで同じ時期バイトをされていた方のブログに逢えました。お母さんの文藝春秋の手記と同じように悦子さんの日記を補足するもの、また面影を偲ばせるものです。関心のある方は訪問して下さい。(アドレスを記述させて頂きます。)」
以上宜しくお願い致します。

Posted by: etsuko4912 | May 22, 2005 at 08:02 PM

etsuko4912様

ご丁寧なレスをありがとうございます。
高野さんも、我が友も、どうして自らの命を途中で絶とうとしたのかという疑問については、もう何をどう推測しても「そのひとが居ない」という事実が残るのみで、当時の喪失感が将来に渡って癒えることはないものと思っています。

また、「全共闘」を突き抜けて、いわゆる過激派まで行き着いた自らの過去については、それなりに愛着こそあれ大いなる青春の「あやまち」も多く含まれているが為に、こうやってコッソリとブログに吐露している次第です。でも、ここの読者のほとんどは私と同じメンタリティーの中で、私の記事を読んで納得してもらっているものだと感じています。

そうした意味で、私などは貴方がいうところの「風化」と呼ばれる現象にも耐えて、何処かには綿々と残りうるネット上の記述があっても良いのではないかと思うのですが、残念にもこの国では私達が活動していた頃もそうでしたが、自由な論議を確保するような気風と制度が実のところ何処にもありません。
私の立場上、少しでも左翼的な言辞や、現政権を揶揄するようなHPなどは今もって公安警察などの監視対象なのであると、無垢な貴方たちにも敢えて警鐘を鳴らすべきであろうと思うのです。

そういう訳で、この誠にパーソナルな空間について、貴方のブログの読者諸氏に告知するのは、「いかがなものか」というのが結論です。
まさしく、貴方が書いているように、私たちの「運動」は、個人レベルでは今もなお終わっていないんだという脈絡から考えていただければ、色んな意味で納得していただけれるものと確信しております。

貴方にあっては、私たちの子どもの世代に属するような若さをもって、ある真理や真実を追究しようとする姿勢に対して、私自身とても感動を覚えるのですが、世の中は全てが「善意」ばかりでは成り立っていないようなのが残念です。
ネットでのブログだけではなく、実際の世界でも貴方のような感性豊かな若者が、将来に渡り活躍できるような世界がすぐにでも来ることを夢見ています・・・

ご健勝でいてください。
(Kidman)

Posted by: kidman(管理人) | May 24, 2005 at 07:34 PM

ご返信ありがとうございました。本当に残念ですが、記述は断念致します。
キッドマンさんには、ネット上での「わだつみ像」を倒した中に悦子さんがいたという記述(悦子さんの日記には記述はありません。)や日記に記述されている全共闘運動(学園闘争)など、その背景を解説して頂ければと心の中で密かに考えていましたが、本当に残念です。いつかそんな日が来ると信じて、これからもブログ関心を持って、読ませて頂きます。また今は東京に住んでいますが、田舎が兵庫で、帰省の途中たびたび京都に立ち寄っています。機会がありましたらお店の方にも寄らせて頂きます。では失礼致します。

Posted by: etsuko4912 | May 25, 2005 at 10:42 PM

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