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July 2006

ゆっくり本を読みたい気持ち

先月から今月にかけてはまさに疾風怒濤の勢いで、いささか疲れ気味であった。

友=松岡の判決公判もあり、結果は予想どおりの有罪(懲役1年2ヶ月・執行猶予4年)ではあったが、支援者の輪も確実に拡がっており、また何よりも特筆すべきは神戸地裁の陳腐な判決よりも私たちの「出版・言論の自由」概念に対する理論的レヴェルが飛躍的にランクアップしたということであった。

何事もいち早く思想性で凌駕してしまえば、たとえロクでもない判決が下されたとしても痛くも痒くもないということか(笑)、所詮裁判官は常識の固まりで市井の公務員=「勤め人」であり、私たちはそれなりに自分の矜持をかけて生き抜いてきた苦労人であり、その意味で正しい「人生の棒の振り方」ばかりを模索してきたという大きな違いがあるのだ。これを称して69-70年代の若者の「大量ドロップアウト」と呼んだ評論家も居たが、そんなことはこちらにしてみれば単に大きなお世話である・・・
まして団塊の世代が日本の資本主義を支えたなどとは歴史の捏造であり、私たちはいつでも異議を唱えて生きてきた。「浅間山荘」以降、完膚無きまでにボロ負けして少し智恵が付いたけれども、そもそも「転向」なんか金輪際したこともないのだから。
そんな気の利いたことをする程ヒマがあったなら、私はもっと好きな本を読んで暮らしていたい。

きちんと読んでいない本は驚くほど多く、いかに自分が怠惰であったかを反省するきわみである。
ちなみに、まだ買ったままで全部を読んでいない本は、以下のとおりである。

(1)『マルチチュード・上・下』(アントニオ・ネグリ=マイケル・ハート著・NHKブックス)
(2)『道浦母都子全歌集』(河出書房新社)
(3)『昭和史1926-1945,1945-1989』(半藤一利著・平凡社)

であるのだけれども、今はなんとなく何が何でも読み切るのだという決意が湧いてこない。
それらの本にもまして、私は長年自分の読書歴の中で、日常は手にとっては いるのだけれども結局全然読み切っていない二つの著作があって、それらの本を読むには私にとって、至福のひとときがきっと必要であろうと勝手に決めていたものがあるのだ。

こういう本を読むのは、私の場合、ビジネスも闘争も家族も仲間も存在しないところでしかないと勝手に考えていた・・・かつて、バリ島にもシドニーにもハワイにもサイパンにもわざわざ持って行ったけれども、プールサイドや砂浜でこぼれるばかりの太陽の下で、それらの本をサングラスをかけてまで読もうとしなかったのは、せめてもの自分なりの決め事であったろう。
シチュエーションとして、そうした南の島とかリゾートでしか読めないような本と決めていた自分が今となっては、とても惨めな精神状況でしかなかったと痛み入る次第である。
その本の名は、『失われたときを求めて=マルセル・プルースト』であり、『ユリシーズ=ジェームス・ジョイス』であった・・・

本を読むのに、誰にも何にも憚ることはないにもかかわらず、私はまだこの二作を読んでいない。
つまり、私はまだ何ものかに拘束されており、自らを真に解放する術を手に入れていないような気がしてならない。

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