僕らのダンディズム
例によって、更新せずに放っておいたら、あっというまに数ヶ月が立ち去っていって、あのおチャラけた首相も退陣したうえに、今度はもっとふやけた私より年下の茶坊主が内閣総理大臣になっていた。
昔、反抗的だった団塊世代は、現実政治の中でも順番を10年以上飛ばされてしまった。この国の保守政治におけるセーフティー・ネットは、つまるところ団塊飛ばしだったのかと笑いがこみあげてくる。
全然うまくいっていない・・・
私の想念と世の中は依然として噛み合うどころか、ますます乖離していくのだ。
この先、おそらく何年・何十年が経過してでも、この国の事情が好転することはないだろう。
翻って、私たちはこのうえ、一体何に拘泥していけばよいのかと考えると、やっぱり自分の強い意志=ダンディズムしかないのだろうと考えている。
この際だから、かつての「武士は食わねど高楊枝」というのも、ひとつのダンディズムだと認めよう。
でも私たちは領主を戴く封建武士などではないから、「貧乏してでも主に仕える」という思想などない。
そうすると、私たちは、かつてのように主体的な自らの思いをライフスタイルの中で全うしていくのが本筋だと思う。それこそがひとつの譲れないダンディズムであり、またそのように生きてきたという自負があるのだ。
本を読みたいと書いていたのだが、実のところこの間余り読んでいない。
最近は昔の仲間からのお座敷がかかることが多く、集まって呑んで話してオシマイということが多く、東京だ、京都だ、大阪だと移動ばかりで、なかなか思い通りにはなっていない。
そんな中で、久しぶりに読んだのが『悲劇週間』(矢作俊彦著=文藝春秋刊)である。
「恋と詩と革命の超大作ロマン」と銘打った本著の帯には、「戦争はいかが?」というサブタイトルがある。大正から昭和の初めにかけてを主な舞台とするある外交官の息子の物語で、この作者にしては骨太なストーリーというよりも史実を織り交ぜた精緻な作品だと感じる。
矢作俊彦は、文字通りのダンディズムを自らの作品のモチーフにしているのだろう。
序は「明治四十五年、ぼくは二十歳だった。それがいったいどのような年であったか誰にも語らせまい。」で始まり、終章564ページには「いずれにしろ確かなのは、パリにパリなどないことをぼくが知る何年も前のお話。あのころぼくは二十歳だった。」と締めくくる・・・
そうだ、これはあのポール・ニザンの翻案に違いない。
『青春20歳、それが人生の一番美しい季節だなんて誰にでも言わせるもん か』
というあれだ。あのころの若者は第二外国語を仏語専攻ならポール・ニザン、私のように独語専攻ならヴァルター・ヴェンヤミンだったのだ。
内容に立ち入るのはやめよう。ただ、私と同年の作者が書こうとした青春も結論として「うまくいっていない」と言っておこう。
この前、東京から帰る新幹線グリーン車の中で、偶然にもこの本を読みながら、iPodでCharの『気絶するほど悩ましい』を聴いていたら、当の本人と帯同バンドに出くわして驚いた。
なんせ、この歌のサビの後には、印象的なフレーズが繰り返される。「うまくいく恋なんて恋じゃない」と・・・
やっぱり、全然うまくいってない。こんなふうに会うなんて・・・



Comments
『気分はもう戦争』
大友克洋氏との漫画だよ。コマごとのセリフがいいのです。
矢作氏は、なかなか書かないのです。
いつもの作風なのだけど、アンニュイな、がいいです。
Posted by: 薮 | October 21, 2006 at 12:15 AM
ダンス・ダンス・ダンス
上手に踊っていくしかないという話らしいです。
Posted by: 大阪人 | August 09, 2008 at 10:49 AM